この5年間、一番多く聞かれた質問は「どうして江津に来たのですか？」
新しい生徒さんがいらっしゃるたびに必ず聞かれます。その答えにバシッと答えられる理由を今の私は持ち合わせていないのでいつも答えに詰まります。 ポツポツと理由はあり、引っ越すきっかけもありましたが、本質的な問題としてどうして東京を離れて江津に来たのか？は分からない、というのが本当のところです。「分からないのに来たのか？」と唖然とされることも多いのですが、島根県には魔法の言葉があってそれは「きっとご縁があったから」。この言葉を言うと不思議なほど皆さんが納得されます。人と人との縁、土地との縁、時空を超えて結ばれる縁、古代から神様の土地として営んできた島根ならではの感覚だろうと思います。

人は常に明確な意思や動機をもってから動くものではないと私は思っています。何かに惹かれる、導かれる、漠然とした感覚だけど本人にとっては確信できる、そういうことを経験された方はいらっしゃるのではないでしょうか？
江津で沢山の人と出会い、生活して、仕事をするなかで、ある日、ストンと腑に落ちるだろうと楽観的に考えて日々の暮らしを大事にしていこうと思います。

移住するにあたり「仕事はどうしようかな？」と考えた末に料理教室の開業を思いつきました。東京では外資系証券会社のＩＴでプロジェクトマネジャーやビジネスアナリストをしていたので江津に仕事はありません。これまでのキャリアとは無関係に仕事を探してみましたが私が役に立てそうな仕事も、“どこの馬の骨かも分からない”私のような人間を雇ってくれそうな会社も見当たらず、ふと思いついたのがビジネスではない私のキャリア、料理です。20代から料理教室に通い、海外でも沢山の美味しい料理に出会い、仕事や介護のストレスで押しつぶされそうになった時にリフレッシュさせてくれた料理。
「こっちだ！」と踵を返して料理教室を始めることにしました。幸い、長年通っていた料理教室で講師の資格を取り、講師向けの研修も受けていたので開業の目途を立てやすかったのも助けになりました。

そこから具体的な計画作りを始めましたが、これは長年のプロジェクトマネジャーとしてのキャリアが大いに役立ちました。必要なことをリストアップし、費用を計算し、スケジュールを作り、ステークホルダーとの連絡体制を作り、リスク予想を立て、進捗を管理する。
人生、なんでも経験しておくと役に立ちます。

肝心のキッチンは、空き家の再生に取り組む地元のデザインハウス、SUKIMONOが私の希望を取り入れながらとても素敵なキッチンスタジオを作ってくれました。

まず、江津という土地に馴染んで人々と交流をしながら少しずつ教室を作っていこうと思っていました。それに移住にあたっては東京に住む高齢の父に「毎月、東京に来て1週間お世話します」と約束したこともあり、行ったり来たりの2拠点生活になることも初めから分かっていたのでスロースペースで行こうと思っていました。母の介護をしてきた経験から高齢者はいつ何があるか分からないと分かっていましたので自分本位の計画を立てても無理が出ることも分かっていました。

心配が的中して父が脳梗塞で倒れ、毎月どころか東京に行きっぱなしになったこともあり、突然の呼び出しに駆け付けることもあり・・の生活が続きました。教室を休業することも何度となくありましたが、生徒さんたちが理解を示してくれてくれたおかげで教室を続けてくることができました。

生徒さんの中にも親の介護をされている方が多くいます。教室に来て初めての料理を作ったり、パンやお菓子を焼く非日常の時間を楽しんだりして、日常生活に戻っていかれます。

経験は人生の宝です。これまでの経験全てが私のキャリアですので、大変だったこと、うまくいったこと、嬉しかったこと、心の引き出しをいっぱいにして生徒さんたちの気持ちに寄り添い、楽しんでもらえる教室を作っていきたいと思います。

美味しいものを食べるのは一番身近な幸せな時間です。そして食べたものは栄養になって私たちの体を作ってくれます。いえ、体だけではなく心も料理で癒されたり勇気づけられたりするのではないでしょうか？

料理教室の生徒さんの希望はさまざまです。
料理のシーンに応じて　　　　　忙しい毎日にさっと作れる料理、おもてなしの料理、
新しい味への興味　　　　　　　外国の料理、食材のマンネリ調理法を変えたい
いつもの料理　　　　　　　　　もっと美味しく作りたい、“このポイント”が知りたい
献立の作り方　　　　　　　　　メニューの組み合わせ方、栄養のバランス

大きな料理教室は方針を立て、期間内のメニュー構成を組み立ててレッスンを提供しますが、うちのような小さな教室は柔軟にレッスン内容を考えることができます。
来て下さった生徒さんの声を聞きながら食べることがもっと楽しくなる、もっと美味しいものに出会える教室を追求していきたいと思っています。

自宅でパンを焼く楽しさを身近に感じて欲しいと思っています。パンの種類は無限にあるといっても過言ではありません。生地の配合、具材、成形によって多種多様なパンを作ることができます。うちの教室では機械を使わずに生地を手でこねあげるやり方をしていますので、サラサラの小麦粉や砂糖、水などが自分の手の中で少しずつまとまって弾力をもち、こねあげていくのは達成感と喜びを感じられるでしょう。

生地がこねあがって一次発酵後にぷっくりと膨らんだ生地を見てとても愛おしくなるのは自分の分身だから。「あ～、この子の可愛さがたまらない」という声をよく聞きます。この可愛い“わが子”を美味しく作ろうと一生懸命に成形して、さらに愛情をこめて焼き上げたパンがオーブンから出てきた瞬間は幸せホルモンのセロトニンが出まくります。

情緒的である一方でパンというのは実に化学的に作られます。美味しく作るためには食材の特徴や相性、温度管理、発酵の条件等を理解することが必要なので、これらを楽しく自然に学べる教室を心がけていこうと思っています。

お菓子の魅力は夢の世界に連れて行ってくれることに尽きると思います。美味しいだけではダメ、惹きつける見た目がとても大事です。といっても、華やかな必要はなくてシンプルでもキレイな色に仕上がっている、丁寧に作られていて形が整っている、この2点に注意すれば美味しそうなお菓子が作れます。
見た瞬間に気持ちがぱーっと明るくなる、思わず笑顔になる、誰かにあげたくなる、そんなお菓子作りをしていきたいと思っています。

お菓子は繊細な作業と大胆な作業、素早く行わなければいけないことと、ゆっくりと時間をかけること、そしてパンと同様に素材の化学を理解することが大事です。レシピ本はスペースの都合上、最少ステップが書いてあることが多いので行間を読む力が求められます。教室で細かな手の動かし方、力の入れ方、道具の向きなどを学んでもらうと、ご自分でレシピ本を正しく読み込むことができてレパートリーが広がります。

おうちでお菓子作りを楽しめるように、1人1人に丁寧なレッスンを心がけていきたいと思います。